解散。(一日で削除した文)

送られてきた会報。

頭の中がグチャグチャだ。何も考えられない。人生最大の喪失感。

たまが解散するそうだ。

先月、2年ぶりにたまファンクラブの会費を振り込んだ。そして今日、ひさしぶりに送られてきた会報の表紙に「たま解散」の知らせがあった。

柳原さんが脱退して3人になると知った時もショックではあったけど、たまが解散するわけでは無いから、と自分に言い聞かせた。でも今回は違う。完全に解散。どうするんだ、俺。

初めてたまを見たのはイカ天だった。2週目の「さよなら人類」を見て、これはただごとでは無いと思い、3週目からビデオをとった。今でもうちのビデオラックには、その時のビデオテープが並んでいる。

それ以来、俺の心の芯には常に「たま」があった。今の俺を形成したのは間違いなくたまの音楽だ。たまのおかげで友部や朔太郎にも出逢えた。石川さんがホームページを作ってからはファンクラブに入らずとも情報を得る手段ができたので、会費を払わなくなってしまったけれど。


たまの思い出を振り返りながら、部屋にあるたま関連のCDや書籍を見かえしていたら、8年前の柳原脱退直前、4人のたまが最後に行った公演「たまのお歳暮'95」のパンフレットがあった。そこにさくらももこが寄せている文。


(前略)彼らは10年以上もあの完成された世界を共に創ってきたのだ。あまりにも見事だったから、私は「たま」は永遠にそのまま続けて聴いていられるという錯覚を起こしていた。僭越ながら、私自身も創作をする職業柄、生きている者が何かを創っている場合、それがそのままでいられなくなる事態というのは当たり前にある事だと覚悟しているつもりだったのに、「たま」だけはそんなことないと思い込んでいたのだ。
 「たま」の音楽は、誰かに継承できるものではなく、今ここで聴くしかない。4人の時代の「たま」は、4人でいた時に観ておく事しかない。生きている者が創っているものだから、どうしようもない。
 これから「たま」は三人になり、柳原さんは柳原さんになり、それぞれの世界を創ってゆくのだけれど、三人の「たま」の新しい展開と、柳原さんの新しい展開は、また楽しみに注目すべきだと思っている。それは、「たま」が生きているからこそ起こった変化であり、生きている「たま」の人達の変化につきあって、同じ時代に生きていることは、面白いことだと思うからである。


当たり前の事を言ってるんだけど、いい文章だなぁ。涙が出るよ。俺もこれからバラバラになったメンバーが創り出す音楽を楽しみに待つことにしよう。でも、二度と「たま」の新曲を聴けないという心の穴は埋まるだろうか。