そのうち
クリトリスがどうしたこうしたみたいなことばかり言う僕の友達から、「たまの中で柳原幼一郎は少し異質な感じがするが、たまファンにとって柳原はどういう位置づけなのか」というメールが来たんですが、わりと難しい話題かもしれないので自分の考えだけを話します。
僕は4人のたまが好きでした。柳原さんの「異質さ」というのはたまの重要な要素だったと思います。もっと言うと、知久さんほどの才能が柳原さんほどの才能に出会って、喜ばせようとしたり、びっくりさせようとしたりした、というのが、たまの核のひとつだったのではないでしょうか。
これくらいの言い方なら、恐いファンの人にも怒られずに済むのではないかと思う範囲で書いてみました。これ以上のことは、東京に遊びに行った時にクリトリスの人に会って話したいと思います。俺を出迎える準備お願いします。まず羽田から赤じゅうたん。
ベースなんて15年ぶりにさわった
おもしろいサイトをやってた人達は最近みんなTwitterに集まったね、という話になってるみたいですが、俺はひとりでMySpace行きます。やっぱり時代はMySpaceでしょ。もう俺、パスカルズとフレンドだから。別にさびしくないから。
祖母と俺
9月に祖母が亡くなりまして、葬儀、法要、納骨等、ほぼ一段落ついて少し落ち着いたところなんですけれども、俺の祖母というのは若いころ、釧路の西のはずれあたり、まあそれ以上くわしく言うと俺個人が特定されかねないような人口の少ないところで、俺の母を育てながら一人で農業をやっていたという、謎の多い経歴の人で、このたび親戚が集まったのでいろいろ話を聞いてみたんですが、祖母の人生の全貌は誰も把握していないようでした。俺もそうありたい。
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俺の祖母と母が住んでいた道東のあのあたりというのは、冬なんてもうギャグみたいに寒い地域で、断熱材も使ってないようなスキマ風入りまくりの家に住み、朝起きたら枕元に雪が積もってたなんていう話を聞くと、俺には考えられないくらい大変な暮らし向きだと感じるのですが、北海道で育った団塊の世代あたりの人というのはそれくらいの経験をわりと当たり前にしていて、近所でももっと貧乏な家では「玄関につける戸が買えなくてムシロをかけていた」らしく、たかだか50年くらい前にはそんな、お地蔵さんに笠をかけたらモチをもらいましたみたいな家に住んでる人が存在していたという話は結構ショッキングでした。ということは今から50年も経って俺がじいさんになる頃には俺の家にドアなんて無かったりするんじゃないかってことを本当に思ったのでがんばります俺も。
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叔父に聞いた話。むかし叔父が知人から「市議選に出てくれないか」って話をもらって、いい気になって祖母に相談したところ、祖母が超怒って「政治家になるというなら親子の縁を切る」とまで言われたそうです。俺はこのエピソードが一番好きだな。かっこいい。